西三数学サークル通信129号
今回のサークルには東京理科大学の院生と卒業生の2人が東京から車で6時間以上かけて
参加してくれました。若さはすばらしい。ぜひこういう若者が生徒と数学を楽しむ教員になってほ
しい思いました。
![]() ↑サークル風景 |
![]() ↑ 理科大学のおみやげ |
第42回東海地区数学教育協議会研究大会 開かれる
6月8日(土),9日(日)岐阜市文化センターにおいて、 第42回東海地区数学教育協議会研究大会が開か れた。 9日(土)は「教具・教材を使ったワークショップ」と記 念講演「授業作りのためのネタ−和算からネタを拾う−」 (上垣 渉・岐阜聖徳学園大学教授)が行われた。
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記念講演「授業作りのためのネタ−和算からネタを拾う−」
講 師 上垣 渉(岐阜聖徳学園大学教授)
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和算は室町時代末期に中国の数学が日本に輸入され、 寛永4年(1627年)には吉田光由が明の程大位の『算法 統宗』にヒントを得て「塵劫記」(命数法や単位、掛け算 九九などの基礎的な知識のほか、面積の求め方などの 算術を身近な話題をもとに解説し、これ一冊で当時の日 常生活に必要な算術全般をほぼ網羅できる内容となっ ている)を刊行し、江戸時代の数学書のベストセラーとな った。なお、寛永18年版の「塵劫記」には巻末に答えの ない問題を12問(遺題)掲示した。 遺題継承:後の学者に対する出題を当時は「遺題」と呼び、 遺題を解こうとする学者が研究してその答えを自分の著書 に載せる。その後は自分も新たな問題を作成し、自身の著 書に掲載して後世に受け継がれていった。 初期は算数を用いれば解ける問題ばかりであったが遺題 が受け継がれていくに連れて遺題が難しくなり、算木を用い る代数が研究され始める。しかし算木を使用しても問題が解 けなくなり、やがて江戸時代を代表する数学者である関孝和 が筆算による代数を発明し、1674年に孝和によって書かれた 『発微算法』まで受け継がれていった。 |
遺題12問の最初の問題
問題(現代語訳)東と乾(いぬい)(北西)と坤(ひつじさる) (南西)の方向に三辺をもつ直角三角形で、東と乾の辺 の和が81間、東と坤の和が72間のとき、この直角三角 形の各辺の長さと面積を求めよ。 【解】東=45間、乾=36間、坤=27間、面積=486坪 ※ 直角三角形の直角を挟む短い辺を勾(こう)、 |
ピタゴラス数を作る・・・・・・・・・・・・・亀井