戻る ルワンダ通信1号
アフリカ中部にある内陸のルワンダで、JICA(国際協力機構)の理数科現職教員の研修プロジェクトで
働いています。ルワンダと聞くと、1994年の大虐殺と、その後に製作された「ホテル・ルワンダ」や「ル
ワンダの涙」などの映画やドキュメンタリーを思い浮かべる人が多いと思います。ルワンダはもともとは
王国でしたが、第1次世界大戦終結までドイツに支配されており、その後ベルギーの植民地となりました。
その後、多くのアフリカの国々の独立気流の中で、1962年に独立しますが、その後国内では、植民地時代
に優遇されていたツチ族に対する不満や、個人の土地所有に関する複雑な利権対立があり、2つの民族間の
対立が深まっていったようです。1993年には、民族間の和平合意に至りますが、1994年4月にフツの大統
領が航空機事故で死亡したこと(暗殺と推測されている)を発端に対立が再燃し、政府軍と暴徒化したフ
ツ族によって、現代アフリカで最大級と言われ、世界を震撼させた大虐殺が起きました。およそ100日間
に80〜100万人のツチ族と穏健派のフツ族が殺害されたとみられています。この時の恐ろしい体験は、上
記の映画や生き延びた人たちによる手記などから、推し量ることはできても、実際に体験したことがない
私たちには、想像範囲を超える恐怖と混乱だったと思います。人間が集団になって方向を間違えたときの
恐ろしさを、改めて感じます。
地図で確認するとわかりますが、ルワンダの国土面積は小さく、そして、住んでみると、温暖な気候で、
小高い丘が連なる地形のため、美しい風とおだやかな光に恵まれています。人口は1,000万人を超え、人
口密度はアフリカで最高だそうです。この人口密度の高さは、個人の土地所有の問題をより複雑にし、争
いの火種になってきていると言われています。紛争終結後は、主要な外貨収入源であるコーヒーと紅茶の
輸出により経済再建を進めていますが、人口の6割は貧困に苦しんでいると言われています。
大虐殺があったことで、攻撃的な性質の人たちかと思いがちですが、つきあってみると、控えめでおと
なしい性格の人たちが多い印象です。
約50年の間に4回(1959年、1963-1964年、1974年、1994年)も紛争を繰り返し、その度に教育システム
や教育を受ける機会そのものが壊されてきたルワンダです。再び紛争を繰り返さないために、そして、
人々が経済的恩恵を受けられるように、現在のルワンダは科学技術立国を目指しています。その実現を支
援するために、JICAの本プロジェクトは現職教員への研修を通して理数科教育の質を上げようとしていま
す。
研修は、2つの面での内容を含んでいます。1つは、教員たちの教科知識の向上です。高校を卒業した後、
教員養成課程を経ず教員になる人たちもいるため、まずは教科の内容の理解を補充することが重要となり
ます。2つ目は、生徒の興味をいかに惹きつけるか、わかりにくい単元をいかにわかりやすく教えること
ができるか、生徒たちの思考力と自主性を高めるためにどのように生徒たちを巻き込んでいくか、といっ
た授業の質を上げるためのテクニックの習得を目指します。プロジェクトそのものは、3年間のフレーム
で進んでいて、現在、最後の1年の活動を進めています。3年間でどれほどの変化と向上が望めるかは、
なかなか数値では表しづらいですが、研修の核となって進めているトレーナーと呼ばれる先生たちは、
確実に、生徒中心の教授法に共感と理解を示し、大きな興味を持って取り組んでいます。研修を受講す
る先生たちも、同じ教科を教える先生たちの間で、アカデミックな内容について話し合ったり、お互い
の知識を深め合ったりする場にいることが、大きな刺激になっているようです。決して給与などの待遇
面でよい立場にいるわけではない教員たちのやる気の低さを指摘されることが多い実際の教育現場で、
研修で学んだことを、どのくらい教室の現場で生かしていけるかは、今後も継続する大きな課題です。
このプロジェクトそのものは、1995年にケニアで始まったもので、その後、アフリカのさまざまな国で、
理数科教育の向上を目指して、JICAの技術指導のもとに行われています。このさまざまな国同士のつなが
りもできていて、10カ国以上が集まって情報・意見交換をしたり、数カ国間であるテーマの下にワーク
ショップを行ったりしています。
10年以上をアフリカで過ごしてきた私の個人的な理想ではありますが、さまざまな問題を抱えるアフリ
カ諸国のこれからの将来を支えていく若い世代には、質の向上した理数科教育を通じて、思考力と自主性
をおおいに高め、よりよい国づくりへと発展させていってほしいと願っています。
JICAルワンダ中等理数科教育強化プロジェクト
研修マネージメント専門家 高橋美保
2010年3月31日